僕は幼いころからアメリカでも日本でも、このような「機内安全ビデオ」を何回も見ています。どの航空会社でも大体同じ流れです。福岡に帰省する時はいつも日本航空を乗っているので(JALカード大好き!)、特にこの動画は暗記してるに近いです。
いけないけど、僕は安全説明ビデオ を見ると、「万が一事故に合ったら、この手順に従っても本当に救われるのだろうか?」と疑問に考えることもあります。しかし、一昨日の便の業務に努めていた客室乗務員やパイロットが緊急脱出に備えた訓練を真剣に受けていなかったら、日航機の方にも死者が出ていたかもしれません。 乗客が窓の外に見えるのはオレンジ色と煙だけでした...しかし乗務員は混乱とパニックを乗り越え、全員を安全な場所に誘導できました。
これらのことを思いめぐらしていると、「神様の客室乗務員」について考えさせられました。 「えっ...誰それ?」と僕のつまらない新しいブログを読んでくれている優しいあなたは今思ってるでしょう。😉 主の弟子であるクリスチャン一人一人こそが「神様の客室乗務員」です。 手遅れになって「永遠の死」という炎に機体が飲み込まれる前に、乗客を安全へ誘導すること(救うこと)が私たちの仕事です。この任務は決して楽ではありませんが、神は私たちにおくびょうの霊ではなく、愛、力、そして慎みの霊を与えてくださいました。 (第2テモテ 1:7)福音は救いに至る神の力であり、(ローマ 1:16)「機内安全ビデオ」と同じように「万が一の事故に備えて...」私たちが乗せている乗客を必ず救う手順です。「機内安全ビデオ」の手順は毎便乗客に見せられますが、「万が一の避難」の場合だけにかかわることなので、「見なくていいやっ...」と思う人もいるかもしれません。 同様に、私たちの友人や家族の多くは私たちから何度も福音を聞いているかもしれませんが、彼らはまだそれを受け入れていないかもしれません。 結局のところ、「死」は「万が一」起こるようなものだと思ってしまい、彼らは「永遠」をまじめに考えず、後回しにするかもしれません。しかし、「死」そして「永遠をどこに過ごすか」は旅客機の事故と違い、絶対にいつか直面しなければならない問題です。
私たちが伝道するなかで、なかなか福音を受け入れない人は何かの「きっかけ」が必要かもしれません。たとえ乗客が安全説明ビデオを見るたびに真剣に受け止めていなかったとしても、昨日の便の着陸を「きっかけ」として、初めてその手順を真剣に受け止めたでしょう。そして、客室乗務員はその手順通りにその乗客を安全に誘導する準備ができていました。 私たちは同じ方に何度も伝道することで疲れてはいけません! その方の人生に何かの「きっかけ」が来れば、私たちの努力は決して無駄になりません。 「衝突事故」に備えて、聖書の「機内安全ビデオ」である福音を伝え続けましょう!
私たちクリスチャンは「神様の客室乗務員」としての任務を真剣に果たす責任があります。 私たちは給料をもらっている社員だから責任を果たすのではなく、宣教大命令に従うために行います。そして私たちに与えられた神様の計り知れない救いという贈り物を受けた私たちは感謝と神への愛にあふれて、この任務を果たすのです。 私たちは、あの客室乗務員と同じくらい真剣に訓練を受けなければなりません。 それぞれの地方教会は、日本航空のような徹底した手順で信者に弟子訓練をしなければなりません。したがって、クリスチャンはいつも福音を伝える準備をしていなければなりません。私たち「神様の客室乗務員」が乗客を乗せている便がいつ事故にあうか分かりません。乗客は、「機内安全ビデオ」を聞くたびに、その動画を無視するかもしれません。 彼らは「死」や「永遠」のことを考えずに快適な旅を過ごしたいかもしれません。 実はノアの時代にもそのような人たちがいました...
マタイ 24:36-39 (創世記 6-7)
ノアの時代に生きていた人々は、ノアが造っていた箱船やノアが宣べ伝えていたメッセージに対して、(2ペテロ2:5)無関心で、快適な生活を送り続けたかったでしょう。 しかし、雨が降り始め大洪水が発生すると、彼らはノアが伝えたメッセージが事実だったことに気づいたでしょう。残念なことに、彼らは救われるチャンスを見逃してしまいした。
ヘブル人への手紙 11:7
ノアが箱舟を造るためには大きな信仰が必要だったと、この聖句が私たちに教えます。私たち自身も信仰によって救われましたが、他の人々も救われるためには福音の力を疑うことなく、それにしがみつき、嘲笑されても信仰を強く保たなければなりません。 飛行機が着陸する直前の数分間、何らかの問題が発生した場合に備えて、非常口の隣の専用席に縛り付けられて、座っている乗務員たちの深刻な顔を想像してみてください。 彼らは、Ipadでまじめにチェックリストやマニュアル、また緊急脱出の手順をもう一度復習しているでしょう。
私たちもおなじく、真面目であるべきです。
第2 ペテロ 3章
終末時代には、すでに起きているように、聖書や神の約束を疑い、嘲笑する人がいます。 彼らは創造の時に語られた神の言葉の力を忘れてしまいます。 彼らは大洪水のことを忘れるでしょう。 しかしペテロはユダヤ系のクリスチャンである読者に、そのように無知にならないようにと忠告をしています。 神様は情け深く、すべての人々が救われることを切に願っているため、来るべき裁きを一旦保留にしています。 私たち「神様の客室乗務員」が、18分間という時間の切迫感に対して無関心になって、油断すれば、日本航空の客室乗務員のように全乗客を救うことはできません。 主の日は「盗人のようにやってきます」(10節)ので、私たちは油断せずに、手順をいつも見直し、人々を救う準備をしていなければなりません。私たちは神様に任されている宣教の働きをいつも視野に置かなければなりません。
文化の違いで、アメリカの航空会社に勤めている客室乗務員は日本の航空会社の客室乗務員のサービスに絶対負けます。例えば、旅客機が最終着陸態勢に入り、数分後に着陸するにもかかわらず、仕事が終わっているかのように彼らはホテルに到着したら、どこのレストランで食べるか気軽に会話するかもしれません。一昨日のようにその旅客機が滑走路で別の航空機と衝突した場合、客室乗務員はすぐに乗客を救う準備態勢をしていなかったため、亡くなる人もいるでしょう。
2ペテロ3:11-12
「あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。そのようにして、神の日の来るのを待ち望み...」
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